みなさん、こんにちは。
篠原継之助です。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公であった「渋沢栄一」を御存知でしょうか。
渋沢栄一は、近代日本経済の父と呼ばれるほどの日本の偉人です。
ボクが学生の時に勉強した歴史の授業などではあまり大きくとりあげられていなかったので、2024年度から新一万円札の顔になることが公表されるまで、詳しくは知らなかった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
かくいうボクもその1人でした笑
しかし、新一万円札が渋沢栄一になると公表されてから、テレビや本、YouTubeなどメディアに取り上げられることが増えて、世の中の認知が広まった印象があります。
先にあげた「青天を衝け」の影響も大きいですね。
今回はその近代日本経済の父、渋沢栄一にスポットをあててご紹介していきます。
渋沢栄一は何を成し遂げた人?
渋沢栄一が成し遂げた偉業とはなんなのかといいますと、正直一言で表せないぐらいです。
その中でも特に注目すべき点は、生涯で約500社もの企業の起ち上げに関わったという点だと思います。
その500社というのも、今日本を牽引する大企業が揃い踏みなので、驚きです!
代表的なところでいえば、みずほ銀行、東京商工会議所、東京電力ホールディングス、東京ガス、JR東日本、帝国ホテル、東洋紡、キリンホールディングス、清水建設などなど、他にも多くの名だたる企業の創立に携わりました(社名は現代の名称)
壮絶ですね。
近代日本経済の父と呼ばれる所以はココにありという感じです。
しかも、今では普通となっている「株式会社」の概念や仕組みを日本に浸透させたのも渋沢栄一の偉業の一つです。
渋沢栄一とはどんな人?
それでは、渋沢栄一とはどんな経歴の持ち主なのでしょうか。
経歴をまとめて要点をご紹介します。
渋沢栄一は、江戸時代末期に埼玉県の深谷市で藍玉の製造販売などを手掛ける百姓の子として、生まれました。
父親の教えにより、小さい頃からさまざまな書物を読んでいたそうです。
また、藍玉の調達する際に高い交渉力を発揮し、周囲から商才を認められる幼少期でした。
その後、尊王攘夷の思想に影響を受けたり、逆に縁があって幕臣となったりと波瀾万丈な人生を送っていました。
そして、フランスのパリで行われた万国博覧会に徳川慶喜の名代として渡航・視察、しばらくヨーロッパに滞在し、当時の日本にない文化、考えを吸収し帰国、その後フランスで学んだ株式会社制度を実践し、商工会議所を設立しました。
さらに、明治政府から招待されて大蔵省に入省、しばらく活躍して大蔵省を辞任し、その後生涯をかけて、約500社もの企業の設立に尽力を尽くし、日本経済の発展に貢献しました。
めちゃめちゃ濃い人生ですよね。
渋沢栄一は好奇心旺盛で、何事からでも学び取り吸収して、すぐ実践する方だったそうです。
だからこそ、誰もやったことがないことを始められたり、凄まじく濃い人生を送ったり、多くの偉業を成し遂げることができたんだと思います。
ボクも日々何事にも興味を持ち、何からでも学び、すぐ行動するように心掛けていき、もっと事業を伸ばすために尽力していきます。
興味がある方はぜひ渋沢栄一の伝記など読んでみると面白いと思います。
ご一読、ありがとうございました。